見付地区・現存

大見寺

だいけんじ

ページ充実度 基礎情報・調査中 最終確認 2026.07.11

大見寺(日照山光明院大見寺)は磐田市見付にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来立像です。創建は鎌倉時代に遡ると伝えられ、境内一帯は今川氏時代に遠江支配の拠点となった見付端城の跡地で、周囲に土塁の一部が残ります。江戸時代中期に人力飛行を試みた「鳥人幸吉」こと浮田幸吉の墓があることでも知られます。

別称・関連名称日照山光明院大見寺

写真を準備しています 現地訪問後に、本堂・境内・入口・説明板の写真を掲載します。
宗派浄土宗
創建・年代鎌倉時代創建と伝わる(郷土サイト・現地案内板系の記述)。宗派資料の開基年次欄は「正和四年(1345)」と表記されるが、正和4年は西暦1315年にあたり年号と西暦が一致しないため要確認
文化財・史跡調査中
所在地見付・磐田市

01

この寺院について

大見寺(日照山光明院大見寺)は磐田市見付にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来立像です。創建は鎌倉時代に遡ると伝えられ、境内一帯は今川氏時代に遠江支配の拠点となった見付端城の跡地で、周囲に土塁の一部が残ります。江戸時代中期に人力飛行を試みた「鳥人幸吉」こと浮田幸吉の墓があることでも知られます。

02

歴史と背景

創建と見付端城

現地案内板をもとにした郷土サイトによれば、大見寺の創建は鎌倉時代にまで遡ると伝えられます。今川氏の支配下では当地に見付端城が築かれ、遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569年)に徳川家康が遠江に侵攻するとその役割は終わりましたが、現在でも境内の周囲には土塁の一部が残っています。静岡教区浄土宗青年会の寺院紹介では、開山上人を法蓮社誠誉演甫上人と記し、寺宝として元禄時代の境内絵図面が伝わるとしています。

良純法親王供養塔と徳翁院との縁

11世の呑誉禿翁上人は、後陽成天皇の第8皇子である良純法親王の弟子だった人物と伝えられ、親王の死後に分骨を賜り境内に供養塔を建立したと紹介されています。また呑誉禿翁上人は、同じ見付の浄土宗寺院・徳翁院の開山上人でもあります。

鳥人幸吉(浮田幸吉)の墓

江戸時代中期の天明6年(1786年)に岡山で日本初期の人力滑空を試みたと伝わる浮田幸吉は、その咎で所払いとなり、駿府でも再び空を飛んで追放された後、見付宿に移り住んで飯屋を営んだと伝えられます。中遠地域の広域行政組合が公開する郷土読み物(『磐田ものがたり』より)によれば、幸吉は弘化4年(1847年)8月21日に90歳で没し、二番町の大見寺墓地に「演誉清岳信士」と刻まれた墓石が現存し、過去帳にも記載されているとされます。境内には幸吉の飛行機の模型(実物の約2分の1)も置かれています。

03

文化財・見どころ

文化財・寺宝は加筆待ちです

指定文化財、建築、仏像、石造物、古文書、境内の見どころを調査します。

04

写真で見る境内

現地写真を準備しています

初回訪問後に掲載します。

05

出典・参考資料

  1. 行政・公的資料 静岡県知事所轄宗教法人名簿(令和5年3月31日現在)

    磐田市内の宗教法人として掲載。参照行: L9063

  2. 宗派公式資料 静岡教区浄土宗青年会「145 大見寺 磐田市見付」

    山号院号(日照山光明院)、本尊阿弥陀如来立像(運慶作と表記)、開山法蓮社誠誉演甫上人、開基年次「正和四年(1345)」、寺宝の境内絵図面(元禄時代)を確認

  3. 宗派公式資料 浄土宗 寺院検索「大見寺」

    浄土宗寺院であること、山号「日照山」・院号「光明院」、所在地(磐田市見付2510-1-1)を確認

  4. 民間二次情報 静岡県:歴史・観光・見所「大見寺(磐田市)」

    鎌倉時代創建の伝承、見付端城と土塁、永禄12年(1569)家康侵攻、11代呑誉禿翁と良純親王供養塔、浮田幸吉の菩提寺、山門・本堂の建築形式を確認(典拠は磐田市教育委員会文化財課の現地案内板と明記)

  5. 郷土資料 中遠昔ばなし 第89話「鳥人幸吉の墓(磐田市)」(中遠地域広域行政組合系サイト)

    浮田幸吉の経歴(天明6年の滑空、駿府追放、見付宿で飯屋)、弘化4年(1847)8月21日に90歳で死去、二番町大見寺墓地の「演誉清岳信士」の墓石と過去帳記載、境内の2分の1模型を確認(出典『磐田ものがたり』)